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Thursday, April 30, 2020

天皇陛下と雅子さま 国民との「蜜月状態」はなぜ変化したのか - 文春オンライン

天皇陛下と雅子さま 国民との「蜜月状態」はなぜ変化したのか - 文春オンライン

 令和への「代替わり」から1年が経つ。5月1日の剣璽等承継の儀の後、即位後朝見の儀をテレビで見た人々は多かったように思う。平成から令和へ切り替わる瞬間には多くの人々が街でカウントダウンのような騒ぎをしている様子も見られた。この1年間の当初、その熱狂のような「代替わり」を人々は積極的に受け止め、また自身も参加していたように思われる。

2019年5月1日、即位後朝見の儀 宮内庁提供

 天皇は即位後朝見の儀での「おことば」のなかで、「平成流」の明仁天皇のあゆみを高く評価していた。「国民と苦楽を共に」することを、被災地訪問などを積極的に繰り返して自らの姿を見せることで人々に示そうとする上皇のこれまでの足跡にあえて言及し、「強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ」と形容して、自身にその姿が強く印象づけられていることを内外に示したのである。いわゆる「平成流」については、天皇の権威にはそぐわないとして批判もあったが、天皇は「平成流」を自身が継承していくことを強く宣言したとも言えよう。

「平成流」の継続が大きな柱に

 天皇皇后はその後、全国各地を旅した。それは、人々と触れ合うことを重要視した「平成流」の継続とも言える姿を示すことでもあった。6月に全国植樹祭に出席するため愛知県を訪問し、9月には全国豊かな海づくり大会に出席するために秋田県を、国民文化祭に出席するために新潟県を、国民体育大会に出席するために茨城県を訪問する。いわゆる「三大行幸啓」と呼ばれる天皇皇后の旅とともに、皇太子時代からの継続として国民文化祭にも出席している。

 平成の時には2泊3日であったその旅は、皇后の体調を配慮して1泊2日になってはいるものの、「代替わり」後すぐの旅ということもあり、マスメディアの注目度も高く、その一挙手一投足が報じられることで、やはり人々の注目を浴びることとなった。その意味で、「平成流」をうまく継続しているようにも思われる。

2019年11月10日、祝賀御列の儀 ©JMPA

 その後も、10月の即位の礼に際しては、台風第19号などによる被災地を配慮して祝賀御列の儀を延期、そして12月には被災地を見舞うため宮城県と福島県を訪問するなど、その点では被災地を重要視した「平成流」の継続が大きな柱になっている。

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2020-04-30 22:15:04Z
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