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Thursday, July 30, 2020

李登輝台湾元総統が死去、97歳 民主化推進、本省人の親日家 - 時事通信ニュース

李登輝台湾元総統が死去、97歳 民主化推進、本省人の親日家 - 時事通信ニュース

2020年07月30日21時52分

李登輝 台湾元総統(AFP時事)

李登輝 台湾元総統(AFP時事)

  • 死去した蒋経国氏に代わる台湾総統として孫文の肖像を前に就任宣誓を行う李登輝氏(右)=1988年1月、台北(AFP時事)
  • 離日するため関西空港に到着し、見送りに笑顔で応える台湾の李登輝元総統=2005年1月

 【台北時事】台湾の李登輝元総統が30日夜(日本時間同)、死去した。97歳だった。李氏の入院先の病院関係者が明らかにした。終戦後に中国大陸から渡ってきた外省人の蒋介石、蒋経国親子による独裁が続いた台湾で、本省人(台湾出身者)として初の総統に就任。12年間の在任中に直接総統選挙を導入するなど民主化を進めた。「私はかつて日本人だった」と公言する親日家で、日台関係の発展にも尽力した。

〔写真特集〕李登輝元台湾総統

 日本統治下の1923年、台北州淡水郡(現新北市)で警察官の次男として生まれた。旧制台北高校を卒業後、京都帝国大学農学部に入学、学徒出陣で陸軍に入隊した。終戦後は台湾大学で農業経済学の研究に従事し、台湾省政府農林庁の専門家として農業近代化に尽くした。米国に2度留学し、コーネル大学で博士号を取得した。
 農業改革への献身ぶりが行政院副院長(副首相)だった蒋経国氏の目に留まり、国民党に入党。49歳で史上最年少の閣僚として行政院政務委員(農業問題担当)に抜てきされた。台北市長、台湾省政府主席など歴任後、84年副総統。88年1月に蒋経国総統が死去すると、憲法の規定により自動的に総統に昇格した。
 90年に国民大会で総統に再選した李氏は、守旧勢力との権力闘争を繰り広げながら、民主改革を次々に断行した。具体的には、総統に超法規的な権限を付与し、独裁体制の根拠となっていた憲法の「反乱鎮定動員時期臨時条項」の廃止や、有権者による総統直接選挙制の導入などで、96年の初の直接選挙には自らが出馬して当選した。
 対中関係では、93年に中台双方の窓口機関のトップ会談をシンガポールで実現させ、本格的な交流に乗り出した。しかし、直接総統選の実施や、台湾と中国は「特殊な国と国の関係」とする「二国論」発言で関係は悪化。総統選直前には、中国が台湾北部海域に威嚇目的でミサイルを撃ち込み、米国が空母を派遣する台湾海峡危機が発生した。
 2000年の総統選で国民党が敗北した責任を取り、党主席(党首)を辞任した。同年5月に総統を退任。翌年、李氏を精神的リーダーに掲げる政党「台湾団結連盟」が結成されると、国民党を除名された。その後も政界で一定の影響力を維持し、20年の総統選では、再選を目指した民進党・蔡英文総統を支持した。
 退任後は、01年の心臓病治療をはじめ、「奥の細道」をめぐる旅行などでたびたび日本を訪問した。18年6月に沖縄県を訪れたのが最後の訪日となった。最晩年は入退院を繰り返し、ほぼ寝たきりの状態に。20年2月に肺炎などにかかっていたことが分かり、台北市内の病院に入院していた。

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2020-07-30 12:52:00Z
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