31日に投開票された北九州市議選(定数57)は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が福岡県内に出される中での選挙戦だった。候補の中には、長引くコロナ禍で生業が打撃を受けたり、行政のコロナ対応に疑問を抱いたりしたことで出馬を決めた人もいた。訴えは有権者に届いたのか。
「コロナ禍で厳しい中、落ちるところまで落ちた。ここまで踏ん張ってきた経験を力にして、市民の暮らしを守っていきたい」。若松区(定数5)で立候補した本田一郎氏(58)は31日夜、経営する旅館の大広間で約30人を前に頭を下げた。現職5人に唯一の新人候補として挑み、初当選を果たした。
1928(昭和3)年創業の旅館は、市の西端に当たる地域にある。人口減少が進む市で、中心市街地に人と金の流れが集約されつつある一方、地元では高齢者らの足となるバス路線が縮小され、キャベツやトマトで知られる市内随一の農産地も遊休地が増加している。「どこに住んでも幸せに暮らせる街づくりを進めたい」。古里で商売を続けながら思いは募った。
昨春の感染の「第1波」以降、会食などの利用が減り店の売り上げは8~9割減少。雇用調整助成金などを活用し、魚の干物づくりなどで料理人ら10人以上の雇用を守る日々だ。妻の桂子さん(50)に「店は私が守るから、こういう時こそ声を上げなきゃ」と背中を押され、出馬を決意した。
初の選挙戦では集会を控え、主に街頭で若松区の農海産物を生かした観光振興や、新型コロナで苦しむ業者への支援充実などを訴えた。「この街を良くしていきたい」と喜びを語った。
「コロナがなかったら、選挙には出ていなかった」。門司区(定数6)で立候補した無所属新人で、高齢者福祉施設長の中村順子氏(59)は振り返る。施設の感染対策を強化する中、「介護で使うビニール手袋が足りないと市に伝えても反応は鈍く、現場のニーズと行政の対策に隔たりを感じた。現場と行政の“通訳”が必要だと思った」。市職員時代から福祉の現場に身を置き、選挙期間中の演説などでも福祉・介護現場の環境改善を主張した。
11人による激戦で議席獲得はならなかったが「できることはまだたくさんある。この経験を生かし、自分ができることを続けていく」と話した。【浅野翔太郎、宮城裕也】
2021-01-31 21:01:00Z
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