縄文時代、サヌカイトの道は紀伊半島を南北にも通っていた。
吉野川本流の西岸沿いにあった宮の平遺跡(川上村迫)は、大滝ダム建設のため水没したが、近くに移転した丹生川上神社上社の元境内で縄文土器が見つかったのをきっかけに確認された。石鏃(せきぞく)(矢じり)などは二上山周辺から運ばれたサヌカイト製だ。刺し網の重しとみられる石錘(せきすい)は、川原の偏平(へんぺい)な石に、ひもをかける刻みを入れている。比較的大きく、速い流れに対応したようだ。
人が切り開くまで、西日本の標高が低い土地はシイ・カシ類など、常緑の照葉樹林に覆われていた。
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