Pages

Friday, July 30, 2021

最も競技人口多いエペで「金」、見延「世界に相当大きなインパクト与えられた」 - 読売新聞

 男子エペ団体で日本(加納、見延、山田、宇山)が金メダルを獲得した。日本のメダルは2008年北京大会男子フルーレ個人銀の太田雄貴、12年ロンドン大会同団体銀に続き3個目で、金は初めて。1回戦を勝ち上がった世界ランキング8位の日本は準々決勝で同1位のフランスを破ると、決勝はロシア・オリンピック委員会(ROC)に45―36で快勝した。団体戦は1チーム3選手が総当たりで3分9セットを戦い、ポイントを競う。

 加納の突きで優勝を決めると、ピスト(競技台)の上に4人の剣士が集まり、歓喜の輪が広がった。チーム最年少、23歳の加納は「まだ信じられない。これが夢ではないよう祈っている」と笑った。

 世界ランキング8位の日本は、苦しみながら米国との初戦に勝利。勢いは止まらず、その後は格上の相手を次々と破った。

 準々決勝の相手は、世界ランキング1位のフランス。44―44の大接戦となった。どちらかがあと1点取れば、勝負は決まる。この「1本勝負」を加納が制した。金星を挙げ、最大の難関を突破した。

 続く準決勝の韓国戦では、加納、山田で9連続得点を奪い、世界ランキング5位の相手を圧倒。同7位のROCとの決勝は、序盤にリードを奪い、時間をうまく使いながらリードを保つ試合巧者ぶり。日本フェンシング界の悲願である五輪金メダルをつかみ取った。

 リオデジャネイロ大会で入賞した34歳の見延がチームを引っ張ってきたが、米国戦の途中で不調の見延に代わって投入された29歳の宇山が活躍した。

 団体戦のみにリザーブとして登録されていた「4人目の選手」は、身長1メートル90の体を上下に小刻みに動かして相手を惑わせ、巧みな突きを繰り出した。9試合をつなぐリレー方式の団体戦で、スピードが武器の山田、加納とは違うスタイルの宇山が戦いの幅を広げ、大舞台のキーマンとなった。

 欧州優位のフェンシングに風穴を開けたのは、2008年北京大会、12年ロンドン大会での男子フルーレの個人と団体での銀メダルだ。ついに世界ランキングのトップ3を欧州の国が占めるエペでも快挙を成し遂げた。見延は「フェンシングの種目の中で最も競技人口が多く、選手層が厚いエペで日本人が勝ち、世界に相当大きなインパクト(衝撃)を与えられた」と、誇らしげに日の丸を掲げた。(畔川吉永)

 男女ともフルーレ、エペ、サーブルがある。得点となる「有効面」がフルーレは胴体のみ、サーブルは上半身のみだが、エペは頭からつま先までの全身で、より意表をついた攻撃が繰り広げられる。フルーレとサーブルは先に腕を伸ばして剣先を相手に向けた選手に「優先権」が生じ、攻撃と守備に分かれるが、エペは優先権がない。フルーレとエペは「突き」だけだが、サーブルは「斬り」も認められる。

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 最も競技人口多いエペで「金」、見延「世界に相当大きなインパクト与えられた」 - 読売新聞 )
https://ift.tt/3rHLkba

No comments:

Post a Comment