<マイク・タイソン最強神話が崩壊した日(5)~世紀の大番狂わせから31年~>
1990年2月1日、タイソンは東京・慈恵医大病院で予備検診を受けた。診断後、初来日した88年3月の検診も担当した鈴木敬氏教授が、少し首をかしげながら言った。「前に見たときとほとんど変わっていません。ただ首回りが1・2センチ細くなっていました」。2年前に50・2センチだった数値が49センチになっていた。
肩から太く盛り上がる周囲50センチ超の首は、タイソンのトレードマークでもあった。「ヘビー級史上最も太い首を持つ王者」と言われ、『鉄人』の異名を取る王者のタフネスの象徴でもあった。「測定した時の首の位置などで多少数値は変わる。1センチは誤差の範囲内」と鈴木教授は解説したが、実は1月17日の初練習以来「タイソンの首が細くなった」という声が関係者の間でささやかれていた。
練習を視察した帝拳ジムの桑田トレーナー(当時)は「前回に比べて首を支える肩の筋肉が左右ともこぶし一つ分落ちている」と証言していた。1月23日にはスパーリングでプロ初のダウンも喫していた。大きなグローブとヘッドギアを着用した実戦練習で倒されたことで、そのタフネスにも疑問符がつくようになった。ボクシングだけでなく、肉体にも何らかの変調が起きていた。
88年3月に東京ドームで元WBA王者トニー・タッブス(米国)を2回で沈めたタイソンは、同6月に無敗の元IBF王者マイケル・スピンクス(米国)を1回KOで撃破した後「もうリングには上がらない」と発言。そこから緊張の糸が切れたようにトラブルが続いた。同8月には元ボクサーと路上で殴り合い右拳を骨折。翌9月には交通事故を起こして頭部を負傷した。89年2月にはロビン夫人と離婚。わずか1年で結婚生活に終止符を打った。
この空白期間の荒れた生活と不摂生で、鉄人のボクシングと肉体はさび付き、身近な人たちとの溝も深まった。89年2月25日に8カ月ぶりの防衛戦でフランク・ブルーノ(英国)に5回TKO勝ちしたが、強打を浴びてぐらつくなど精彩を欠いた。以降、この1年で防衛戦は同7月のカール・ウイリアムス戦(1回KO勝ち)1試合だけ。タイソンの試合を日本でプロモートした帝拳ジムの本田明彦会長は「ブルーノ戦までのブランクで彼は体も心もなまってしまった。体重も300ポンド(136キロ)まで増えたと聞いた。不調の原因はそこまでさかのぼる」と話した。
決戦まで10日。いまだ復調のきざしが見えず、ついにタイソンはこだわってきた体重調整を変更した。目標体重の218ポンド(98・8)まで絞り込むための食事制限を1月31日に解いた。2月1日の夕食ではスパゲティ、ロブスターに加えて、ステーキも口にしたという。同11日の試合では約3年ぶりに100キロを超える体重でリングに上がることが確実になった。
2月2日の練習は非公開になった。3日は東京・後楽園ホールで観客を入れた有料公開スパーリングが予定されていた。当初から計画されていたのに、前日の練習後、トレーナーのアーロン・スノーウェルは「この大事な時期に観客に公開なんてとんでもない」と報道陣に訴えた。陣営は明らかに焦っていた。それほどタイソンの状態はよくなかった。そして、スノーウェルの不安は的中することになる。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)
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