台湾東部沖で発生した地震から一夜明けた4日、被害が大きかった花蓮市中心部では復旧作業が本格化した。地震で傾いたビルの解体も各所で始まったが、余震は今も繰り返し続き、住民らの不安は募る。四半世紀ぶりに台湾を襲った激震。現地に入り、被害の実態を取材した。
大きく傾くビル
白い砂ぼこりが舞う中、「ゴー」という重機の音が鳴り響く。震源地に近い台湾鉄道・花蓮駅近くにある地上9階地下1階建ての「天王星ビル」。築40年以上の建物は低層部分が崩壊し、大きく傾いている。
4日午前、低層部分をコンクリートブロックで補強し倒壊を防ぐ工事が始まり、地元検察当局による現場検証も行われた。ビルの前には規制線が引かれ、現地メディアだけでなく、多くの日本の報道関係者も進捗を見守った。
近くで飲食店を夫婦で営む朱晁緯さん(31)は、地震後300回以上続く余震におびえる。「目の前に今にも倒壊しそうな建物があれば、誰だって眠れない。一日も早く平穏な日常が戻ることを願うばかり」と表情を曇らせた。
現場から数百メートル離れた別のビルも地震で大きく傾いたが、4日午後には建物が重機で完全に取り壊され、地上にはがれきの山。作業員らが放水しながら撤去する様子を不安そうに見守る、近隣住民の姿もあった。
年3回の訓練
震度6強を観測した花蓮は、海岸沿いに切り立った断崖が続く風光明媚な観光地として知られ、著名な太魯閣(たろこ)渓谷には海外からも多くの観光客が訪れる。一方、過去にもマグニチュード6クラスの大きな地震が頻発し、行政当局者によると、耐震化は台湾の自治体の中でも進んでいたという。
市中心部の共同住宅に暮らす会社員、顔聖培さん(33)は「市民は毎年3回の避難訓練を受け、地震の対応には慣れている」と話す。
現地の小学校や公園には避難所が設置され、仮設テントで暮らす人も。4日夕、約300人分のテントがグラウンドや体育館の中に設営された小学校を魏嘉彦市長が訪れ、被災者らを激励した。
市長自身も倒れた家具で足を負傷し、松葉づえをつきながら被災者に語りかけた。訪問後、取材に応じた魏市長は「必要なもの、足りないものがあったら言ってほしいと伝えた。地震大国の日本から学ぶことも多い」と語った。
中心部の被害は特定の場所に集中し、比較的軽微だった地域では普段と変わらない市民の様子もうかがえた。ただ、花蓮市を含む東部全域の被害はいまだ全容が見えない。余震と向き合う中で市民が日常を取り戻すには、もう少し時間がかかりそうだ。
(台湾東部・花蓮 白岩賢太、五十嵐一)
2024-04-04 11:00:54Z
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