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Tuesday, July 25, 2023

和歌山毒物カレー事件から25年 消えぬ疑問と怒り - 読売新聞オンライン

和歌山毒物カレー事件から25年 消えぬ疑問と怒り - 読売新聞オンライン

 1998年に和歌山市内で夏祭りのカレーにヒ素が混入され4人が死亡、63人が重軽症となった毒物カレー事件は、25日で発生から25年となる。地元での慰霊祭が10年以上も前に途絶えた今も、現場で一人追悼を続ける被害者の会副会長・杉谷安生さん(76)は、地域を巻き込んだ事件への憤りとやりきれなさを抱き続けている。(村越洋平)

 「夏が来るたびに思い出す。なぜ多くの人が、あんな 卑怯ひきょう な犯行の犠牲にならねばならなかったのか」

 事件が起きたのは和歌山市園部の住宅街。その近くで暮らす杉谷さんの言葉には、今も怒りがこもる。

 当時高校2年生だった杉谷さんの長女(41)は、ヒ素入りのカレーを食べて病院に搬送された。一命は取り留めたが4日間入院し、その後、ふとしたきっかけで記憶がよみがえるフラッシュバックに悩まされた。

 地域にも深い傷が残った。住民は疑心暗鬼に陥り、調理に関わった人は自責の念に苦しんだ。知人を夏祭りに誘い、その知人が事件に巻き込まれ、罪の意識にさいなまれた人もいる。児童1人が犠牲になった地区の小学校は、今も給食でカレーの提供を控えている。

 「犯行の理由を、本人の口から聞きたい」。カレーにヒ素を混入したとして殺人罪などに問われた林真須美死刑囚(62)の裁判が始まると、杉谷さんは傍聴に通った。しかし、林死刑囚は最後まで犯行を認めず、動機は解明されなかった。2009年に死刑が確定したが「林死刑囚がやったという結論が出ただけ。真相が明らかになったわけではない」と杉谷さんは語る。

 報道で杉谷さんが取り上げられたからか、林死刑囚は、杉谷さんに何度か手紙を送ってきた。しかし、封筒に「HELP ME」と書かれた手紙の文面は、身勝手な内容で反省の言葉すらなかった。

 夏祭りの会場だった空き地は今も更地のままだ。地元の慰霊祭は死刑確定の年が最後となり、最近は7月25日に足を運ぶのは杉谷さん1人だ。

 杉谷さんが追悼を続けるのは、長女は搬送直後、食中毒だと考えられていたが、死者が出たことで、医師らが毒物を疑い治療法を切り替えたため助かったと後で知ったからだ。「同じ事件で亡くなった人たちのことを忘れてはいけない」との思いがあるという。

 地元には「事件の記憶が薄れることが地域のため」と、追悼を続けることへの反対意見もある。だが、杉谷さんは強調する。「理不尽な犯行に多くの人が苦しんだ。そのことを世の中の人たちに忘れてほしくない」

 林死刑囚(62)は現在、大阪拘置所に収容され、再審を請求している。1~2か月に一度面会している林死刑囚の長男(35)によると、家族にも一貫して「私はやっていない」と話しているという。事件当時、林死刑囚とともに保険金詐欺の容疑で逮捕された夫(78)は、刑期を終え、一人で暮らしているという。

 ◆= 毒物カレー事件  1998年7月25日、和歌山市園部の自治会が主催する夏祭りで、カレーを食べた67人が急性ヒ素中毒で搬送され、うち4人が死亡した。林真須美死刑囚は10月、別の保険金詐欺事件で夫とともに逮捕され、12月、鍋にヒ素を混入したとする殺人罪などで起訴された。林死刑囚は否認したが、検察側は状況証拠を積み重ねて有罪を立証。2009年4月に最高裁で死刑が確定した。

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2023-07-24 23:24:00Z
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